聴覚を管理しましょう!

音楽家とそれに携わる人、そして音楽愛好家のために


イエローストン国立公園にて  撮影:2017年8月

耳は音楽を聴くために、とても大切です。当たり前過ぎる事実ですが、はたしてきちんと管理できているでしょうか? 今は、あらゆるPA/SR(会場でのスピーカーによる音の増幅)は大音量で、聴覚を痛めてしまう程です。ヘッドフォンやイヤホンでの過大音量での音楽聴取は、永久的な聴覚障害をもたらします。強大音量に曝されるミュージシャンの中には、老人並の聴力の人もいます。完全にダメージを受けた聴力は戻りません。ここでは、聴力というものを正しく理解し、自分できちんと管理するよう啓蒙したいと思います。

とは(簡単に)


日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会のホームページより引用

空気の振動は鼓膜を震わせ、小さな骨を介して音を電気信号に変換する内耳へ伝わります。音の波は内耳にある膜の振動となりますが、この膜には、膜の振動をコントロールする外有毛細胞と振動を電気信号に変換する内有毛細胞があります。電気信号となった音情報は、その後、脳で複雑な処理をされ、言語や音楽として認知されます。人は空気の振動・音をコミュニケーションの手段の一つとして取り入れましたが、これを音楽という芸術にまで昇華したのは、何と素晴らしいことでしょう!

強大音等でこの細胞が障害を受け治療で回復ができなくなると、細胞の再生・修復は望めなくなり、難聴となり耳鳴りに苦しみます。一番の治療は、難聴にならないように予防することです。年と共に聴覚は衰えますが、自ら老化を早めるのはいかがなものでしょう。見た目は若者でも、耳・中身は老人では悲しいですね。

聴力検査

耳鼻咽喉科で聴力の検査をすると、オージオグラムというものに記録されます。縦軸は音の大きさ(音圧)、横軸は音の高さ(周波数)です。赤〇が右、青×が左です。実際には骨を伝わって聞こえる骨導もコの字で表示されますが、ここではわかりやすくするために省略します。この例では、左側の高音では、右側より少し聴力が落ちているのがわかると思います。年齢と共に聴力は下がっていきますが、一般的に若い人なら30より上にあれば正常、中年なら40より上にあれば、まあ正常と考えて良いでしょう。

聴力検査〜音響に携わる人のために補足

音圧はdBSPLではなく、dBHLです。これは、ヒトの聴覚は周波数によって感度が異なるので、各周波数の最小可聴閾値を0dBとして表示したものがオージオグラムのdBHLです。0dBSPLは20μPaの音圧ですが、HLでは下記のようになります。検査周波数は基本オクターブ・ステップですが、8kHz以上の聴力は個人差が大きすぎるので、測定しません。古典的には20〜20000Hzが可聴域と表記されていますが、これは切りの良い数字にしたためで、実際は16〜18000Hz位です。また、聞こえる、という意味での聴覚では無く、体感、認知、という意味では、もっと遙かに低周波数から高周波数に及びます。

ちなみに、耳鼻咽喉科専門医を名乗っている医師でも、この基本(dBHLとdBSPLの関係)を理解していない人も実は少なからずおりますので、ご注意下さい。

難聴になると、どうなるのか

聴力が正常な場合、5〜10dBで音が聞こえ始め、110dB位で音をうるさく感じます。快適に聞こえる幅(ダイナミック・レンジ)は100dB位あると思って下さい。ところが、上に示した難聴の場合、低域では50dBで聞こえ始め、110dBでうるさい音と感じるので、ダイナミック・レンジは60dBです。8kHzでは80dBでようやく音が聞こえ始め110dBで音はうるさく感じるので、ダイナミック・レンジは30dBしかありません。では、補聴器などで0〜110dBの音をこの狭いダイナミックレンジの幅に入れてやれば良いと思うかもしれませんが、このような耳では分解能が劣化しているので、もの凄くうるさくて、聞いていられない音になります。補聴器の装用、フィッティングが難しい理由の一つです。 

4kHz付近は、言葉の子音が分布しています。ですから、ここの周波数が落ちてくる高齢者の場合、「音は聞こえるが何を言っているのか聞き取れない」、といった現象が起きます。高齢者は脳の処理速度も落ちてくるので、「ゆっくり話さないと聞き取れない」といった現象も併せて起きます。テレビで、滑舌の良いアナウンサーのニュースは聞き取れるが、ドラマやバラエティでは何を言っているのかわからない、という訴えも良く経験します。

音が相当大きい環境での職場(本来は耳栓等で耳を保護しなければならない)や常に大音量の中にいるロック・ミュージシャンは、まず先にこの4kHz付近が落ちてくるので、同じような状況になります。

左上は、40歳のドラム奏者(主にロック)の聴力です。4-6kHzに大きな谷、難聴があり、日常会話に苦労しているとの訴えがありました。上中は、37歳のドラム奏者(ジャズ)の聴力です。ジャンルの違い、音響暴露状況の違いはあるとはいえ、大きな差です。これはアルコール・お酒に強い、弱いがあるように、強大音に強い人、弱い人がいると考えています。今はあらゆるコンサートの音が大きすぎて嘆かわしい状況ですが、同じ場所で聴いているのに急性難聴になって受診する人と全く平気な人がいます。

さて、右上の聴力検査の結果にご注目下さい。両側の耳鳴を訴えて受診してきた方です。6kHzに谷・聴力障害があります。通常は4kHzの上は8kHzを測定し、6kHzは測定しません。そうすると、この谷はグラフから消え、ほぼ正常と診断されてしまいます。ところが強大音に曝されている人の中には4kHzより6kHzの方が先に落ちてくる場合があり、音楽家やミキサー等の場合には積極的に測定した方が良い場合も多いのです。この症例では、耳鳴の周波数と6kHzの谷の周波数が一致していました。

低音障害型難聴に注意

ここ20数年で、低音が難聴になる症例が極めて多発しています。軽度〜中等度なものが大半です。症状は、耳がつまる感じ、低音の耳鳴、耳痛、音が歪む、二重に聞こえる、音程が狂って聞こえる(ほとんどは低く聞こえる)などです。めまい、浮遊感を合併する場合もあります。古くは蝸牛型メニエル病と分類されていたものですが、様々な病態が混在していると思われ、簡単に「突発性難聴」と診断、患者に告げるケースが多発していて混乱を招いている状況が続いています。突発性難聴は、ある日突然、一側に高度な難聴が起きる原因不明の病気とお考え下さい。基本、低音障害型難聴と突発性難聴は分けて考えます。問題点を列記します。

 1. 聴力検査が不正確なので、低音が落ちているのが診断できなかった症例がある。
 2. 音楽家など聴力に敏感な症例では、軽度の低音の聴力の低下を見落とし、正常と扱ってしまった症例がある。
 3. 蝸牛型メニエル、もしくは内リンパ水腫例が診断できなかった症例がある。
 4. 聴力の障害が、症状の訴えている側と逆の場合があるが、医師がそれを知らなかった症例がある。
 5. 音程が狂うという事実を医師が知らないばかりか、「気のせい」と言われてしまった症例がある。
 6. 特に音楽家の場合、疾患の説明と予後の見通し等をしっかり説明しないので、このまま聞こえなくなってしまうのではないか、
   とパニックに陥ってしまった症例がある。
 7. さすがに最近は減ったが、耳閉感というと耳管狭窄症という疾患しか知らず、単純に盲目的に通気治療を続けていた症例がある。
 8. 耳閉感は耳管開放症が原因だ、と思い込み、独自の診断基準で治療を行けていた症例がある。
 9. 聴力が落ちる度にステロイドを処方し、量も用法も管理できていない症例がある。
10. 中等症〜軽症でも入院治療が必要だと説明を受けてしまった症例がある。
11. ストレス、疲労等が関与する場合には、背景等よく話を聞き、そのケアと治療を行なわないと改善しないが、それが行われなかった
  症例がある。
12. ネットに誤った情報が蔓延しているが、自分に悪いことばかり目に入り、より不安に陥り悪化した症例がある。
13. 芸能人が突発性難聴になった、という報道に左右される。多くは突発性難聴と区別すべきメニエル病か低音障害型難聴と思われる。
14. 突発性難聴は基本、繰り返さない。以前、突発性難聴は左側を3回やりました、という症例が後を絶たない。
15. その他

イヤー・モニターとは何か?


Extreme Waveのホームページから引用

今は、多くのミュージシャンが耳にイヤーモニターを装着しています。以前は、ステージの前に置かれたスピーカーからの爆音でモニター、演奏を行なっていました。しかしこれでは武道館やドームなどの広い会場では良いモニター 、音響が得られず、また、強大音で聴力を傷めてしまいます。そこで、ヴァン・ヘイレンのドラム奏者:アレックス・ヴァン・ヘイレンが担当のPAのエンジニアだったジェリー・ハービー氏に「何とかならないか」との相談で生まれたのがイヤーモニターです。 補聴器の部品、技術が応用されています。

当院は、イヤーモニターの黎明期:2003年以来、プロ・ミュージシャンだけで1370例(2022年2月現在)のインプレッション採取を行なっています。一律に同じ方法で採取せず、楽器別、歌い方、用途別に取り方を変えており、世界で唯一無比の採取例数となっています。

ミュージシャンは、PAの人とペアになり音を聴き、各楽器とのバランスを取ります。注意しなければならないのは、イヤーモニターはそのために特化したものであり、Hi-Fiではないものがほとんどであることです。私は以前200機種ほどテストしましたが、音響用Hi-F-と呼べるものは、ほんのわずかでした。かっこ良さだけで選ぶと、後悔します。

イヤーモニターの発音部はバランスド・アーマチュア・タイプが使われていますが、これは元来補聴器に使われているもので、非常に小型で能率は良い(小さい入力で大きな音が出せる) 一方、再生できる帯域が狭く、音が悪い、といった欠点があります。ジェリー・ハービー氏の凄いところは、再生帯域を低音、中音、高音に分割して再生し、そして耐久性とピストン・モーションを稼ぐ意味で、それぞれの帯域のドライバーを複数使用してきちんとした音に仕上げたところにあります。彼の会社JH Audioの13Pro(ver.1)などは、あまたある高級ヘッドフォンを凌駕し、これに敵うのはSTAXのコンデンサー式位、という素晴らしいものです。これですと、電車の中での雑音を遮音し、ルネサンス時代の繊細な音すら完全に分離して聴かせてくれます。

しかしながら、イヤーモニターの使用では、より音量に注意しなければなりません。難聴製造器になってはならないのです。ですから音響エンジニアは、ミュージシャンの聴覚を知り、それに合せる、配慮する必要があります。この例をご覧下さい。24歳男性でイヤーモニターを製作した方の聴力です。後日、突発性難聴の罹患を知りました。

このような聴力に左右同じ音を与えても良い筈が無く、左側は下手をすると、さらなる聴力の悪化を招きかねません。聴力というものを熟知し、そして音響に精通した耳鼻科医のアドヴァイスが必須です。

イヤーモニターの製作は、こちらへ

レコーディング・エンジニアの聴覚管理

1970年代からアメリカの録音モニターが大音量となった影響で、日本でも大音量でのミキシング、トラックダウンが行なわれている場合が多いと思います。大音量に長時間暴露すると、一時的に軽い難聴になります。この状態で仕事を行なっても良い結果が得られないのは明らかです。適切な音量を保つのと同時に聴覚の管理をお薦めします。

左右の聴力が異なると、正しい音像定位が得られません。また低域、高域の聴力閾値が上昇していると、ドンシャリの音造りになりかねません。聴力というものがどういうもので、音響に精通した耳鼻科医の聴覚管理をお薦めします。

PA/SRに携わる方へ、強いお願い

今は、ロックコンサートでもないのに音が大き過ぎます。本当に音楽を聴きたい場合は、もっと音量を抑えた方が良いのです。また、多くのコンサート、イベントで聴力を傷める人が後を絶ちません。せめて10dB下げて下さい。思い込み、幻影を捨て去り、一度10dB下げてコンサート、イベントを行ない、手応えを感じて下さい。もう大音量の時代は終わりにしましょう。

耳が弱い(大音量のコンサートで耳を痛めた)方へ

耳栓を常時持ち歩いて下さい。当院で推奨している耳栓は2つあります。一つは永島医科の恩知式防音プラグです。工場等で働く人達に、強大音は防ぎ、しかし会話はできるというものです。これを耳に入れる深さで音量をコントロールします。値段も¥1200と安く、1〜3の3サイズあります。また両側の耳栓は付属の紐で連結し、首にかけることができます。

もう一つは、HearDefenders-DF HearPlug ZDF(E.A.R.Inc)です。こちらも耳に入れる深さで音量をコントロールできます。価格は¥3950で高価ですが、音の良さが比較的保たれます。冒頭に書いた通り、難聴の予防、耳の保護を行なうのが第一歩、一番大切なのです。

聴力の良い人とは?

感覚器というものは、ケタ違いに鋭敏なものがあります。イヌの嗅覚は、ヒトの100万倍〜1億倍と言われています。サメは、ドラム缶に1滴の血液を入れ 、さらにこのドラム缶の1滴を25mプールに入れても感知するとか。タンザニアのハッザ族の視力は11.0だそうです。通常の視力検査は5mの距離でランドルト環(Cの形)が識別できると1.0、視力11.0は55m先で、この環の切れ目が見えることになります。アフリカで、右手にライフル銃を持った人が歩いて来ている、と現地人が言っていても誰にも見えない。どうやら何Kmか先の模様。しばらくして、右手に銃を持った人が歩いて来るのがやっと見えてきた、という話は話題になります。

さて、聴力(耳の感度)が良い人はどうなのでしょうか? これは私が知っている最も聴力の良い人の聴力検査結果です。

最小音が全て聞こえているので、測定不能(上に↑表示)でした。また、この人は、以前の規格の聴力検査:聴力損失でも、全ての周波数で最小音が余裕で聞こえていて、さらに防音された聴力検査室の外、病院の前の道路を走る車の音まで聞こえていました。この人と普通の人の聴力、例えば15dBHL位の人とでも、ダイナミックレンジは30dB以上差があることになります。これは感度が良い場合ですが、感度が良いから音が詳細に分解して聞き分けられるかというと、それには脳の学習が加わるので、また別です。 絶対音感については、脳が関係するので、また別の機会に書くとして、聞こえが良く、分解能が凄い人では、

1. スピーカーのコーン紙の湿気(湿度)の音の変化で、四季を感じる。
2. 放送局の機材(電源部)の故障が判る。
3. CDを聴いて録音機材のどこの部分で歪が生じているのか判る。
4. 録音を聴いて、マイクのセッティングが見える。
5. 録音されたブースの音響で、前にあるガラス窓の大きさと部屋の大きさが想像でき見える(イルカやコウモリと同じ)。
6. テレビを背面で聴いていても、どのホールで演奏しているのか瞬時に判る。
7. オーディオ機器の不具合が判りすぎて、オーディオマニアと話がかみ合わない。
8. 飲食店街を歩いていると、ネズミ除けの高周波音が激しく耳に刺さり、声が出てしまう。
9. その他、様々....

こういった聴力を有した人は異常者と思われて相手にされないので、理解者が現れるまで孤独な人生を歩みます。では、このような聴力は進化なのでしょうか?
わずかな周囲の変化に敏感で「殺気」を感じないと殺されてしまう時代もあったかもしれません。今はそのような鋭敏な感覚は必要ないので、このような人がいたとしたら古代人とも言えましょう。体育館や校庭での集会では、拡声装置が普通に使われます。本来の人間の耳は、拡声装置が無くとも聞き取れる能力がありました。現代人は、耳を澄ます、という行為自体を知らないで育っている 人も多いかもしれません。道の真ん中をゆったり歩いていて後ろから来る車に気づかない子供は、正常進化、適応しているとも言えます。

しかしながら先天的な能力が無くとも、缶詰工場で働く打検検査師や鉄道でもハンマー検査技師は後天的トレーニングであそこまで極めるのですから、人の適応能力、というものは、やはり凄いものだと思わざるを得ません。


京都にて  撮影:2014年11月

神宮前耳鼻咽喉科 クリニック


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